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 冨嶽三十六景塗り絵雑感


 最新版は「深川万年橋下」であるが、これを着色しながら考えた。
 北斎の風景画は面白みがある。どこが面白いかというと、その奇抜さにある。現代のカメラ技術と修正ソフトを使えば似たような絵はできそうだが、そうはいかない。広角レンズで同じ位置から撮影しても、富士山と周辺の景色はまるで違ったものになる筈だ。機械的に描写するのと、作者の意図を含んだ絵画とでは視点が全く違う。北斎の場合、中心にある橋や、大木、人家とそこを通る道などが主役であって、富士(不二)は添え物に過ぎない。そこには必ず人の姿が見られる。人は旅人や行商人、農夫、そこで生活する人々に眼差しが向いている。そこに動きが生まれる。これに比べ西洋画に見る静物画や人物には表情はあるが、写真の静止画のようなものだ。
 北斎の絵にはダイナミックな人の動きと、それを遠くから見ている不二の姿にインパクトがある。単なる遠近法ではない。何を書きたいかという意図が明白に出ている。
 廣重もまた東海道五十三次のシリーズを出しているが、こちらの方がよりリアルまたは写実的だ。両者とも多くの版画を残しているが、私個人の好みでは、絵を作るというアイデアの面白さにおいて北斎に軍配を上げる。独特の遠近法とデフォルメ(変形)が自在に揮われている。版画の世界は原画作者に始まり版木を作る人、色付けをする人などの共同作業で成り立つ。そこには版元と言われる出版を差配する人もいたことだろう。残念ながら原画を見たことはないが、浮世絵として世に残されたものを見ても、その色遣いは単純であり、微妙な色彩の変化は見られない。そこが塗り絵として真似できる要素でもある。
 多くの版を重ねて原画の色に近づけようと努めても、版画には色数に限界がある。ざっと5-6色ぐらいだろうか。
 結果として単純化されているが故のユニークさが生み出される。単純なものほど空想の世界に引き込んでくれる。
 時空を超えて富士を見ながら旅する夢を見るのも楽しいものだ。

 




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